高校の担任教師と大学受験の思い出

扁桃炎(扁桃周囲膿瘍)がようやく治り始めました。
2月末くらいから続いていたので、もう半月以上経ちます。

これまでずっと抗生剤を飲んでも腫れは引かず、これまで合計3回穿刺(せんし)し、2回点滴を打ちました。

3/17に2回目の穿刺と1回目の点滴を行ったところ、3/18の朝にはかなり治まった感覚がありました。
3/14の穿刺ではシリンジ2cm分くらい引けましたが、3/17でも同じくらい引けました。

3/18の穿刺ではもう膿は引けず、医師によればこのまま治まればもう来なくて良いとのことでした。

さすがに長かったので、重篤な病気(癌など)ではないか不安になりましたが、癌であれば膿が溜まらなかったり痛みがなかったりするらしいので、その心配は不要そうです。

穿刺の際の麻酔も穿刺自体も結構痛かったし、そもそも喉に針を刺すって行為自体恐怖だったので抵抗がありましたが、最初からこの規模の病院にかかっておけばよかったなと反省しています。
また、たかが喉が痛いだけとたかをくくって飲みに行ったりしてしまったのも反省しています。


高校時代の担任教師(以下、S氏)が定年退職するので挨拶にいかないか?との連絡がLINEグループに届きました。
何よりもまず、自分自身の加齢に驚き戸惑いました。
僕はもう先生が定年する年齢になってしまったのだと。

S氏の顔は僕が高校生だった頃のそれのまま脳内で維持されています。
会うことでそれがおじいさんにアップデートされ、また固定化されるのでしょう。

当時を思い出すとTommy february6のBloomin’!、オレンジレンジの上海ハニー、中島美嘉の雪の華などが頭の中で自然と流れます。
ampmの店員の女の子が気になっていて、毎日ホット生茶を買っておまけの生茶パンダの連結チャームを集めていました。
本当に懐かしい。

僕は小中高一貫校に在籍していたのですが、僕が中学入学する頃に母との約束で運動部に入部することでB’zのPleasureを買ってもらう約束を結び、いやいや入部した水泳部の顧問もS氏でした。
僕は中学生の頃の記憶が断絶されたかのように失われているのですが、S氏とはかなり長い付き合いだったはずです。

S氏に会うことで記憶にない過去にアクセスできるような気がして、ぜひともS氏に会ってみたいなあと思いました。
もしかしたらこの機会に会うのが最後になるかもしれません。


高校時代を振り返ると最も印象深いのは大学受験です。

前述のとおり、僕は小中高一貫校に在籍していたのですが、内部進学者は高校入学時点で選別され、G組・H組(以下、GH)という特進クラスに進むことが理想でした。
外部から入学してきた人たちの特進クラスはF組でした。

僕は全然勉強ができなかったので、通常クラスのC組に進むことになりましたが、そこから少し頑張ったのか周囲のレベルがあまりにも低かったのか覚えていませんが、その後高校2年生に進級するときに敗者復活コースのE組に進めることになりました。

GHはプライドが高く排他的な雰囲気があり、小学生の頃に親友だと思っていたM君やI君との交流も高校入学後に失われてしまいました。

高校2年生にもなると、みんなの関心は受験に集中し、GHの連中は移動に片道1時間くらいかかる代ゼミ・駿台・河合塾の校舎に通い始めました。

僕もそのころ色々とあって、受験にフルベットすることに決めたのですが、そもそも全然勉強ができないし、実家にあまりお金がなく本格的に予備校に通うほどの資金が捻出できないと聞かされました。

大学名すら全く知らない状況で、偏差値も40くらいだったのですが、書店でふと目に入った偏差値50から早慶突破という本を購入し、とりあえず早慶を目指してみようと思いました。
大学がどういう場所なのか、僕がどれくらい合格から遠い場所にいるのか、なにもわからないまま受験を始めたので、試験当日や入学後のイメージは全然ありませんでした。

当時Yahoo!オークションで取引することが趣味だったので、商業系の学部がいいのではないかと思い、商・経営系の学部を目指すことにしました。

まず、赤本を買って、何もわからないながらも読んでみました。
また、暗記が苦手で日本史と世界史を選択することは無理だと悟り、ロジックで戦える地理をゼロから勉強することにしました。
そして、市販の参考書を集めて、何をどれくらいやればどれくらいできるようになるかを見積もりました。
誰も相談相手がいなかったので、このような準備だけで数か月経過してしまった気がします。

その後、高校の近くに代ゼミサテライン予備校というVHSビデオで有名講師のビデオが見られるという予備校を発見し、予算が許す限り(全部で5講義くらいだったと思います)受講し、授業以外の時間は予備校が空いている限りずっと自習室で勉強しました。

その頃、GHでは有名予備校ではなく、選ばれた人しか入れない合格保証付きの予備校というなんともインチキ臭い予備校が流行り出し、M君も通っているという噂を聞きましたが、なんかコソコソしていてちゃんと教えてもらえませんでした。

その頃には僕はもう勉強方法を確立していたので、偏差値も70以上を出したりと爆裂してきて、アルファ情報みたいなものに踊らされることはありませんでした。
そして、徐々に自分は合格することができるのではないかという心象を持つようになってきました。

父も母も僕がまさか早慶を受験しようと思っているとは認識しておらず、受験が近づいてきて驚いていました。
経済的に余裕がなく受験料もあまり払えないとのことだったので、早稲田大学を本命にして青山学院大学を滑り止めに受験することにしました。
なぜその2校にしたかというと、適当です。

まずは青学の合格発表が出て、合格していました。
その後、早稲田の合格発表では自分の番号を見逃して落ちたと思い込んでいました。

親にはせっかく受かったのだから青学に入れと言われましたが、ムカついて振込用紙を破り捨てました。
浪人かなぁと思っていたのですが、早稲田から入学書類が届き、歓喜に沸きました。

高校で合格したことを報告すると、S氏が喜んでくれて悪い気はしませんでした。
一方でずっと僕の存在すら認識していなかった学年主任がちやほやしてきたのでシカトしました。

僕がいた高校はそれほど頭の良い高校ではないので、ニッコマで「よくやった」、MARCHに入ったら「すごい」、旧帝・早慶に入ったら「やばい」、東大は「数年に1度の快挙」でした。

GHの連中が僕のもとに来て、「本当に合格したのか?ふざけんな!」みたいなやり取りは初めて僕に勝者の喜びをもたらしました。
それは、これまでに感じたことのない強い快感でした。
これがクセになり、この先も「下剋上」にハマってゆくのでした。

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