
委員長からグループLINEで高校時代の担任教師(以下、S氏)の退任を知り、S氏に会いに地元に戻りました。
中高一貫校で、系列の学校は幼稚園からあり、僕は幼稚園から高校までどっぷりとこの学校にお世話になりました。

クラスメイトは40名程度で、グループLINE参加者(=現在連絡可能な状態)は20名程度いるのですが、当日は僕を入れて3人しか集まりませんでした。
スポットで日時指定だったとか、私立高校なので遠方から通っていた人も多いとか理由はあるのだろうけれども、それにしても少ないですね。
人生の戦略を考えるうえで自己との対話を大切にしている僕のようなタイプにとっては過去の記憶にアクセスできる機会は貴重なので、ある程度は無理してでも参加すべきでしょう。
ましてやこれが今生の別れかもしれません。
機会は積極的に掴み取るべきものなのです。
委員長と駅で合流して、話しながら学校に向かいました。
別クラスの同級生が最近亡くなったらしく、それを委員長が当時の担任教師に伝える過程でS氏とやりとりが生まれ、彼の退任を知ったとのことでした。
早いとは思いますが、日本において18歳から40歳までの間に死亡する確率は約1.4%らしいので、確率的には同級生は5人くらいはもう亡くなっているはずで、知らないだけでなくなっている人はもっといるのかもしれません。
学校にはアポの時間よりも少し早く着いて、当時を思い出しながらぶらぶらと校舎を巡りました。
当時の建物も残っているけれども、メインの校舎は建て替えられていました。
S氏を呼び出すと、すぐに来て、とても丁寧に対応してくれました。
校舎内を案内してもらいながら話をしました。
おじいさんになったS氏を想定していましたが、見た目もほとんど変わっておらず、聞いてみるとまだ50代でした。
むしろ、彼の教育のイノベーションへの思いを聞いていると、同世代かのようにも感じるほど若さを感じました。
彼は定年を機に地元に戻るというような話だと思っていたのですが、両親ともに介護が必要な状況になったため早期退職して地元に戻るということでした。
最後は職員室内で延々と話をしてくれて、2時間くらいは話していたかと思います。
僕のイメージでは、生徒から見た教師は固定値であるけれども、教師にしてみれば毎年数百人の生徒が入学して卒業してくのですから、1人1人の生徒は流動的な変数にしか見えないはずなので、生徒が郷愁感MAXでやってきても受け止めきれないし面倒くさいのではないかと思いました。
そのため僕は冷静な心的態度で臨んだのですが、S氏は当時を(調べたりして準備したのかもしれないけれど)僕よりもよく記憶していたし、彼の態度や自己開示に安心感を得て、自然と心の装甲を解いていました。
僕は中学生の頃にいじめられていて、高校生のころにはマシになって彼女もできたりしたこともあるけれども、どうしても「イケてる青春」みたいなものにありつけませんでした。
そのため、自己防衛機構の働きなのか当時の記憶がすっぽりと欠落していて、身内にもビビられます。
今回、S氏がノスタルジック・トリガーとなり、何度か瞬間的なタイムリープのような感覚を得ました。
もっと時間があれば僕の記憶を補完する旅ができたのかもしれませんが、十分に貴重な体験ができたかと思います。
S氏のお陰で、東京で熾烈で陰湿な競争に巻き込まれる前の、丸裸の高校生だった僕にアクセスすることができました。
あまり日が経たないうちに長距離散歩をして、当時の僕の感性を深く思い出してみたいと思います。
僕の終着点を見つけるために。
S氏は落ち着いたら非常勤教師として実家の近くで再び教鞭を執る予定だそうで、穏やかな日々を過ごしてほしいと願っています。
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