
今日は大量の黄砂が飛散するとのことで、遠出せずに近所のカフェに来ました。
高校の担任のS氏に会ってから、しばしば当時のことが頭をよぎります。
僕のイケてるエピソードのようなものはなくて、甘酸っぱい思い出ばかりです。
たとえば恋愛を例にとると、僕は中学生になったばかりの頃はKさんのことが好きでした。
チャンスは何度もあって、割といけそうな感じもありました。
しかし、多分何度人生をやり直しても当時の僕は好きだなんて絶対に言えなかったと思います。
余りにも不器用でした。
高校に入って初めてMさんという彼女ができました。
しかし僕はやはり不器用で、恥ずかしくてほとんど話しかけることができないまま振られてしまいました。
メールだとめちゃくちゃ喋るのに会うと何も喋らない変な人のまま終わりました。
当時「気付くことができなかったこと」や「行動できなかったこと」の後悔が甘酸っぱい思い出の正体で、それらはすべて、今に至るまで何にもなりませんでした。
気付けないことと行動できないことはとても罪深く、救いはないということです。
これが甘酸っぱいと言えるのは、未熟な未成年だからです。
実際はただの不効率でしかないけれども、その先でまだリカバリが効くからこそ、青春の風物詩たりえるのです。
青春時代を終えてもずっとこのままであれば、何も得られず、何者にもなれず、人生を終えることになります。
S氏に会いに高校に行った帰り、僕は委員長に「ここにはもう何もないね」と言いました。
自分でもどういうつもりで言ったのかよくわかりません。
長い年月を超えて当時のヒトやモノがかろうじて残っていたとしても、そこにリアルタイムでは存在していたキラキラした何かはもうそこにはなくて、望んでももう手に入らないということを改めて感じたのでしょうか。
僕は大学受験を境に、これまでのすべてを取り返し、むしろ何倍も経験してやろうという執念で巻き返してきました。
それがどれほど功を奏したところで、それ以前の日々については報われることはなく、ただ弔うことしかできず、そしてその行為には意味がないし、心は埋まらないと実感したのでしょうか。
実は幻想を追いかけているだけで取るに足らないことなのかもしれませんが、僕にとっては欠落していることなので一生わからないのだと思います。
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