何かの能力が低い代わりに何かの能力が高いわけではない

前職の社長は僕と同じ公認会計士でした。
オーナーは彼の働きぶりを見て会計士が使いやすいことに気づき、ベンチャーにもかかわらず大量に採用し、最大時で6人になりました。
監査法人を作れてしまう規模です。

実際、会計士は監査法人で理想的な社畜になるための訓練を受けているので、使い倒すにはオススメです。

一方で、創業時から経理をやっていた古株の管理部長的な女性(以下、Mさん)がいたのですが、続々と自分より能力の高い人たちが入社し、ポジションを奪っていくことに対する焦りと反発が次第に強くなっていっていることを感じました。

一方で、創業時から経理をやっていた古株の管理部長的な女性(以下、Mさん)がいたのですが、続々と自分より能力の高い人たちが入社し、ポジションを奪っていくことに対する焦りと反発が次第に強くなっていっていることを感じました。
後から入ってきたのにMさんより遥かに仕事ができてMさんの数倍の給与をもらっている僕たちを見てよい気分にはならないということは感覚的にはよくわかります。

次第にMさんとは業務上衝突が起こることが増え、会計士vs管理部門のような構図になったことがあります。
ストライキのようになってしまい、業務に支障が出てしまったため、気は進みませんでしたがガス抜きと割り切ってMさんに「一緒に飲みに行ってもらえませんか?」とお願いしました。

飲んでいる間は大体お説教で、「会計士たちは人間の心がない」、「自分たちのほうが人間力が高い」というような内容でした。
「全くその通りです」と受け入れ、全額奢ってお帰りいただき、翌日からはようやく業務が進捗するようになりました。

ところで、どうして仕事の能力が低い代わりに人間力が高いと言えるのでしょうか?
神様からポイントを10もらって、好きなパラメータに振り分けるというようなシステムだったらそうなのかもしれませんが、実際は勉強もスポーツもできてイケメンもいれば、全部逆の人もいます。
何かがないから何かがあるわけではないのです。
そして、そもそも人間力とはなんでしょうか?

仕事で使う能力が足りないのであれば、努力して埋めればよいというシンプルな構造です。
仕事に関係のない曖昧な概念の能力をでっちあげて、それが自分の方が高いと決めて自分の価値の方が上だと主張するのはいかがなものかと思います。
百歩譲って個人的な思想として持つことは自由ですが、職場に持ち込まないでいただきたいものです。
僕は共感性羞恥心を感じやすいので、聞いていて恥ずかしくて逃げ出したくなってしまいます。

自己啓発系の本や動画を見ていても、しばしば同じような主張に出会うことがあります。

「実は人間、多くを持たないほうが幸せなのです。」
「嫌な人のことはかわいそうだと思っておけばいいのです。」
「立派な人だったら〇〇のようなことはしません。」

こういうのってMさんと同じで、不甲斐ない自分や特定の気に食わない人がいて、それを認めたくなくて自分が正しいと思い込むために、自分を正当化したり気に食わない人をこき下ろしたりする主張を作っているのではないでしょうか。
そして、それを抽象化して普遍の原則かのように語り、誰かに押し付けようとしている分、さらにたちが悪い気がします。

こういう現実逃避的な思想には本当に関わりたくないなぁと思いました。

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