厳しい親≠毒親

最近は厳しい教育に対して、短絡的に「毒親」とか「親ガチャ失敗」と言われているように見えます。
母は厳しかったですが、僕は「毒親」どころか「神親」だと思っています。

僕の記憶では、小学生の頃に母親に頻繁に怒られていた気がします。スリッパでバシバシ叩かれたり、玄関から締め出されてドアを泣きながら叩いた記憶があります。あとはファミコンを隠されてやらせてもらえなくなったことがあります。結構激しく絞られたので、見る人が見れば「毒親」に見えたかもしれませんし、「虐待」と認定する人もいるかもしれません。

僕は本当に鈍くさくて当たり前のことすら何一つまともにできない子供でした。そのため、一般的な人に比べて怒られる回数が多かったかもしれないし、物理的に叩かれたりしましたが、僕の個体としての能力値があまりにも低かったことを鑑みると合理的な行動に思えます。指導内容が定着しないから頻度が高かったのだろうし、そもそも指導を理解できないから物理的な手段を執ったのでしょう。母親の指導方法は至極真っ当なのです。「褒めて伸ばせ」なんてよく言われますが、「ショボい褒め」や「嘘の褒め」はかえって傷つきます。僕はそういう嘘をつく人には即座に心を閉ざします。

親のあり方は、子供の個体性能に依存して然るべきなのです。東大生へのアンケートで「親に勉強しろと言われたことがない」という意見が多かったという結果を見たことがあります。これを因果の「因」として解釈されているようでしたが、僕はこれは「果」だと思います。単に個体性能がよかったので、言われなくてもできただけなのです。言わなくてもできる子供が生まれてきたので、言わなかったというだけで親として正解のような扱いを受けられてラッキーなだけです。

一方で、個体性能が悪い子供は言ってもできないし、叩いてもできません。でも何もアクションを起こさないわけにもいかないので、どうにかしようとするのです。僕は良くて境界知能、それか境界の向こう側にいたのではないかというくらい頭が悪かったので、障害者認定して健常者と別枠に隔離することもできたと思います。そんな僕を諦めずに指導してくれた結果、今では学力も資産も健常者中でもかなりの上位まで来れました。
本当に感謝しかありません。

また、「勉強が得意ではない人に勉強をやらせるのは間違いで、本人が望むものや得意なことをやらせろ」というような論調もありますが、僕は何も望んでいないし、何一つ得意じゃありませんでした。何もしたくなくて、毎日「メシを食ってテレビを見てシコって寝る」ことがベストでした。子供が勉強をしたくない代わりに何かをしたい思いを持っているに違いないと思い込むことは安易すぎます。僕は放置されていたら、何もしないポンコツになっていたと思います。

資本主義社会で生きていくためにはお金を生み出さなくてはならず、十分な速度でお金を生み出すには相当な準備が必要で、何もできない人は勉強するくらいしか手段がありません。僕のように何もしたくない子供にはせめて勉強くらいやらせることが親の務めで、そこに親子の衝突があったとして、それが「毒」かと言えば、全くそうではないと思います。

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